犯罪の意義
◆Episode 02◆
「先生、就活の面接で、いきなり、『君は法学部のようだから聞くんだけど、犯罪って何ですか?』と聞かれたんですよ。予想していなかった質問だったので面食らいました。『黙って答えない沈黙は絶対駄目』と先輩にアドバイスされていたので、何か答えなければと思って考え、咄嗟に、『殺人とか、強盗とか、刑罰を科せられる行為です。』と答えたんです。でも、面接官の反応がイマイチで、予想どおり、落ちてしまいました。なんと答えれば良かったんですか?」
様々な観点から犯罪は定義できる
「犯罪とは何か。」この問いには、色々な観点から答えることができます。たとえば、社会の観点を用いて、犯罪とは社会にとって有害な行為と定義することもできるでしょうし、社会秩序の観点を持ち出して、犯罪とは社会の秩序を乱す行為と定義することも可能です。また、法的効果の観点から、犯罪とは刑罰という法効果をもたらす行為と定義することも可能です。学生の答えた「犯罪とは刑罰を科せられる行為」という回答も、犯罪の法効果の観点から定義したもので、間違ってはいないのです。
犯罪の理解についてギャップ
しかし、先の面接官は、「犯罪とは、構成要件に該当する、違法で、有責な行為です」という答えを期待していたと思われます。というのは、刑法解釈学(刑法の法文の解釈を通じてその規範的な意味内容を明らかにする学問領域)という学問において、この犯罪の定義が支配的であり、『刑法総論』*[1]のどの基本書にも、あたかも「常識だ」と言わんばかりに書かれているからです。面接官にしてみれば、「法学部で真面目に勉強している学生であれば、この程度の質問には簡単に答えられるだろう。」ということなのでしょう。
ということは、一般の人が考える犯罪と刑法解釈学における犯罪との間には、ギャップが存在することはお分かりでしょう。
*[1]) 刑法解釈学は、通常、刑法総論と刑法各論に分けられます。
刑法総論とは
刑法総論は、刑法典の「第1編 総則」を対象にして、刑法の基本原則、犯罪の基礎理論、刑罰論、犯罪に共通する一般的な成立要件とともに、刑罰の種類・内容・適用及び刑法の適用範囲などを明らかにするものです。したがって、刑法総論は、個々の犯罪・犯罪者に共通した一般的な概念を研究するもので、犯罪・犯罪者をいわば横断的に考察する「ヨコ割り」の思考法を採ります。
刑法各論とは
これに対し、刑法各論は、刑法典の「第2編 罪」を対象にして、個々の犯罪・犯罪者に固有の成立要件・法律効果とともに、個々の犯罪・犯罪者の特質や相互関係を念頭におきながら、各犯罪の処罰範囲や個々の犯罪者の処罰の可否などを明らかにするものです。したがって、刑法各論は、個々の犯罪・犯罪者を特徴づける格別の概念を研究するもので、犯罪・犯罪者をいわば縦断的に考察する「タテ割り」の思考法を採ります。
犯罪の意義を理解することから始まる
すなわち、一般の人が犯罪と考える行為が刑法では犯罪とされていないとか、逆に、刑法では明らかに犯罪として規定されている行為が一般の人には犯罪と考えられていない場合はいくらでもあるということになります。
そこで、皆さんが、「えっ、これ犯罪なの」と刑法に足元をすくわれて、犯罪者になってしまうことがないように、犯罪とは何かという犯罪の意義を頭に入れておく必要があることになります。
支配的見解による犯罪の定義
刑法解釈学では、「犯罪とは、構成要件に該当する、違法で、有責な行為である」という定義が一般常識であるかのように定着しているのです。
この支配的見解による犯罪の定義には、「構成要件に該当する行為」という「構成要件該当性」、「違法な行為」という「(行為)の違法性」、そして、「有責な行為」という「(行為の)有責性」という3つの要素が盛り込まれており、これら3つの要素を充たすことによって初めて行為は犯罪となり、これら3つの要素がすべて「行為」に結びつけられていることに注意してください。つまり、支配的見解によると、「構成要件該当性+違法性+有責性」という3つの要素を充たすとき、行為は犯罪となるということなのです。
支配的見解への疑問
しかし、支配的見解による犯罪の定義には「異議アリ」です。
「構成要件」、「構成要件該当性」については、項を改めて述べることにします。というのは、現在の日本の刑法解釈学は、構成要件の概念を用いた構成要件論に立っており、構成要件論に立脚しない解釈論は「異端」扱いされてしまうほどに堅固な考え方となっていますので、この構成要件論については、じっくり考えてみる必要があるからです。
ここでは、犯罪の定義について、支配的見解に対して3つの疑問を提起しておきたいと思います。
① 犯罪者はどこに行ったの
まず、支配的見解による犯罪の定義には、犯罪者(犯罪行為者)が盛り込まれていません。
しかし、犯罪を行うのは人間であり、犯罪(犯罪行為)の意義にとって、それを行う犯罪者(犯罪行為者)は不可欠のはずです。ですから、支配的見解に対しては、「犯罪者(犯罪行為者)はどうしちゃったの、どこにいったの?」という疑問があるのです。しかも、犯罪の中には、特定の行為者にしか行えない犯罪もあります。なのに、犯罪の定義に人間、行為者が盛り込まれていないのは、理解しがたいことです。
②「有責な行為者」ではないの
また、支配的見解による犯罪の定義では、「有責な行為」となっており、有責性が行為に加えられる評価となっています。
しかし、刑罰は、犯罪を行ったことを根拠にして、「有責な行為者」に科されるのであって、「有責な行為」に科されるのではありません。有責性は、行為に加えられる評価ではなく、行為を行った行為者に加えられる評価なのですから、「有責な行為」とするのではなく、「有責な行為者」とすべきなのです。
③ 刑罰は行為者に科せられるのでしょ
さらに、支配的見解による犯罪の定義では、刑罰があたかも行為に科せられるかのような定義になっています。
しかし、刑罰は、「犯罪に対して」科せられるのではなく、「犯罪を根拠にして犯罪者に対して」科せられるのです。つまり、違法な行為を行ったことを根拠にして、有責な行為者に科せられるのです。
以上のように、支配的見解は、行為だけを軸にして犯罪を定義し、(犯罪)行為者を無視しているだけではありません。「有責な行為者」とすべきなのに、「有責な行為」としており、その犯罪の定義は間違っています。犯罪の定義には、行為(犯罪行為)と行為者(犯罪行為者)の双方が盛り込まれている必要がありますし、有責性は犯罪行為を根拠にして行為者に加えられる評価であること、刑罰は犯罪を根拠にして行為者に科せられるものであることを明確にすべきなのです。
新しい犯罪・犯罪者の定義
このように、支配的見解による犯罪の定義は間違っているのです。犯罪の定義は行為者(犯罪行為者)の要素をも盛り込んだものであるべきこと、有責性は、「有責な行為」として行為に加えられる評価とするのではなく、「有責な行為者」として行為者に加えられる評価であることを明確にすべきこと、さらに、刑罰は、違法な行為を行ったことを根拠にして、有責な行為者に科せられることを明確にするものでなければならないのです。
こうした点を念頭において、犯罪(犯罪行為)の定義を示すと、次のようになります。
犯罪とは
犯罪とは、刑法の定める法律要件を充足する、有責な行為者による、違法な行為である。
また、犯罪は行為ですが、その犯罪行為を行う犯罪者の視点から、犯罪者の定義を示すと、次のようになります。
犯罪者とは
犯罪者とは、刑法の定める法律要件を充足する、違法な行為を行った、有責な行為者である。
法律要件該当性⇒行為の違法性⇒行為者の有責性
犯罪及び犯罪者の定義にはいずれも、「法律要件を充足する行為・行為者」という意味での「行為・行為者の法律要件該当性」、また、「違法な行為」という意味での「行為の違法性」、そして、「有責な行為者」という意味での「行為者の有責性」という3つの要素が盛り込まれていることに注意してください。
つまり、「(行為・行為者の)法律要件該当性+(行為の)違法性+(行為者の)有責性」という3つつの要素が充たされたとき、行為は犯罪(犯罪行為)となり、行為者は犯罪者(犯罪行為者)となるのです。
大切な責任原則
ここで繰り返し強調しておきますが、責任原則(責任なければ非難なし、責任なければ刑罰なし)は、犯罪に要求されるものではなく、犯罪行為に関連して犯罪者に要求されるものです。支配的見解のように、「有責な行為」として「行為」に有責性を結びつけるのは、犯罪の意義や有責性の概念を混乱させ、誤解を招くことになります。
新しい定義について注意して欲しい点
犯罪(・犯罪者)の新たな定義について、注意してもらいたい点があります。
① 有責性は外せない
確かに、「犯罪は(法律要件を充足する)違法な行為である」とし、また、「犯罪者は(法律要件を充足する)違法な行為を行った行為者である」として、犯罪や犯罪者の定義から「有責性」を除外することも可能でしょう。
皆さんも、「有責性」を除外した意味で犯罪・犯罪者の語を用いることがよくあります。たとえば、「あの子どもは万引きの犯罪(窃盗罪)をやったけど、幼いので処罰されなかったんだ。」という発言でいう「犯罪」は、有責性を除外した「違法な行為」の意味で言っていることは明らかですよね。
しかし、刑法の基本原則の中に、責任原則(責任なければ非難なし、責任なければ刑罰なし)が存在し、この原則が、日本の刑法が近代刑法であることの証明資格のように認められているのですから、刑法の解釈において、犯罪・犯罪者の定義から、有責性の要素を外すことは許されません。
すなわち、結果の重大性に目を奪われて、非難すべきでない者、非難できない者に刑罰を科すのを「結果責任」といいますが、結果責任は、「見せしめによる威嚇」の考え方に基づくもので、責任原則に反するだけでなく、意味のない無益な考え方です。犯罪を根拠にして行為者に刑罰を科すには、行為者に有責性という要素が具わっていなければならないのです。
このように、刑法解釈学においては、犯罪・犯罪者の語は有責性の要素も盛り込んだ厳密な意味で用いられるのです。
② 構成要件該当性ではなく法律要件該当性です
支配的見解は構成要件論を採っていますので、犯罪の定義に、「構成要件に該当する(構成要件該当性)」が盛り込まれているのです。
しかし、構成要件論は、その歴史的役割を終えており、むしろ刑法解釈学を混乱させ、難解なものにしています。したがって、「構成要件に該当する(構成要件該当性)」ではなく、「法律要件を充足する(法律要件該当性)」とすべきです。ですから、ここでは、「構成要件」ではなく「法律要件」の語を使うことにしました。
また、法律要件に「該当する」よりも「充足する」の方が法律要件論には相応しいですから、「法律要件を充足する」としました。とはいっても、従来から一般的に使われてきた用語とあまりかけ離れると、支配的見解で勉強した人は、違和感・抵抗感を抱く恐れがありますので、「該当性」の語はそのまま使い、「法律要件該当性」としました。
新しい定義への疑問
この新たな犯罪・犯罪者の定義に対しては、以下のような批判が加えられるのではないかと思います。
① 責任原則を軽視するのでは?
まず、有責性を犯罪の概念から犯罪者の概念に移すと、犯罪の定義から有責性が除外されてしまい、責任原則(一般には、「責任主義」と言われ、「責任なければ非難なし、責任なければ刑罰なし」の原則)を軽視することになるのではないかという批判が加えられると思います。
しかし、責任原則は、近代国家の刑法における重要な基本原則の1つ(ほかには、行為原則、罪刑法定原則、侵害原則など)として「鉄板原則」ですから、新たな定義のように、有責性を行為者に加えられる評価としたとしても、責任原則を無視したり、除外したりするわけではありません。
重要なのは、責任原則を否定して、結果責任の考え方に行くことがあってはならないということです。そうでないと、皆さんの自由・人権が脅かされることになりますし、危険な国家が台頭することを容認することになってしまいます。
② 犯罪少年・触法少年の概念に矛盾するのでは?
また、新たな定義に対しては、有責性を「行為」から「行為者」に移し、「有責な行為者」とすると、少年法に定められた「罪を犯した少年」(3条1項1号)に係る犯罪少年の罪や、「刑罰法令に触れる行為をした少年」(3条1項2号)に係る触法少年の触法行為と矛盾するのではないかという批判が加えられるかもしれません。
犯罪少年の行為が、法律要件に該当し、違法であることを要することについて異論はないが、有責性については、争いがあります。すなわち、故意・過失が必要であることについて争いはないが、責任能力を要するかについては、条文の文理、保護処分の意義・目的・機能等を考慮して議論があり、学説・裁判例では必要説が優勢です。
また、触法少年に係る触法行為についても、有責性の要素のうち故意・過失が必要であることについて争いがないが、責任能力については、犯罪少年におけると同様の議論があり、学説・裁判例では必要説が優勢です。
以上のように、新たな定義は、小年法に規定された「罪を犯した少年」や「刑罰法令に触れる行為をした少年」の疑念に矛盾するということにはならないのです。
□参考:関 哲夫『講義 刑法総論』(第2版・2018年)
第06講 犯罪論体系(59〜67ページ)